|
 |
| プロフィール |
|
Author:watanabeGNH
渡部 博行(わたなべひろゆき) 結婚指輪・婚約指輪プロデューサー、株式会社GNH代表 1961年生まれ、 早稲田大学商学部卒業 ’84年住友金属鉱山入社 ’88年よりトレセンテへ出向しブライダルリングの開発、PR等に従事。 代表作は婚約指輪フローラ。 ’07年ニッセンへのM&Aを巡り住友商事と対立、トレセンテを離れる。同年、株式会社GNHを設立、消費者の立場に立った結婚指輪、婚約指輪を開発する。 運営サイト : 結婚指輪MarriagedMarriage 婚約指輪BCER 結婚指輪BlaCykel マリッジリングGNH
|
| By FC2ブログ |
|


|
|
 |
|
| ティファニーが最初にブレイクした国内事情 |
村上春樹の新訳によって、”ティファニーで朝食を”が再評価されつつあります。 それを一番喜んでいるのは、間違いなくティファニージャパンでしょう。ここ数年は、続々と上陸する新進の ジュエリーブランドに押され、なかなか厳しかったようですから。
でも、20年ジュエリーに携わる者にとって、やはりティファニーというブランドは別格なのです。格別の愛着とかノスタルジーを感じてしまします。
この新訳の書評を読むと、最初の訳本が出た1960年代前半に、翻訳者がニューヨーク5番街のティファニーで”食堂はありますか”と尋ねたという逸話が登場します。今では笑い話かもしれませんが、当時の日本人で宝飾店のティファニーを知っている人は、ごくわずかだったはずです
私がジュエリーに関わるようになった、80年代後半バブルの時代、ジュエリーやダイヤモンドの大衆化が一気に進みました。それでも、その時代に存在した海外ブランドジュエリーはティファニーぐらいしかなかったのです。その当時、カルティエはカルチェと呼ばれており3連リングが有名でしたが、ブランドとしてきちんと管理されていませんでした。ブルガリは、まだほとんど無名でした。ティファニーだけは、三越と提携関係にあり、 三越内にインショップを構えていたのです。
ティファニーだけが別格であったのは、何といっても映画”ティファニーで朝食を”そして主演のオードリーへプバーンの影響が大きかった。小学生の私でも”ティファニー”の名前だけは知っていたくらい。その頃の オードリーへプバーンの人気は大変なもので、”若竹のような”という形容詞がつく女優って他にいますかね。 とにかく、日本人の深層心理にティファニーの名前は深く刻まれていたのです。
それが、90年前後(正確でなくてすいません)のクリスマス前に爆発しました。開店前の銀座三越の前に若い男の子(20歳代前半が中心)のひとだかりが出来ました。当時は百貨店側が、行列を並ばせるという発想も準備もなかったのですね。殺気立ったような切羽詰まったような雰囲気が印象的でした。
彼らのお目当ては、シルバーのオープンハートのペンダント。今は、23,000円程度で買えるようですが 当時は3万円以上しましたね。大学生くらいの男の子でもそこまでがんばるところが、バブル期を象徴しているようですが・・・。とにかく当時は、クリスマス時期にティファニーの青いバックが街にあふれていました。今、40歳代の女性の中には、ボーイフレンドからプレゼントされたティファニーコレクションを持っている人も少なくないでしょう。
ニュースになったのは、お目当てのオープンハートのペンダントが買えなかった男の子が、彼女に見せるために”売り切れ証明書”を発行して欲しいと、販売員に泣きついたという話し。この時代、”アッシー君、メッシー君”なんて言い方もあったぐらいだから、圧倒的に女性優位だったのです。
最後に、私が以前在籍していた住友金属鉱山内で伝わるティファニー伝説(実話)。 ほぼ同時期、ニューヨーク出張の際に、奥さんのおみやげにシルバージュエリーを買いに5番街のティファニー本店を訪れた、若手先輩社員と老齢の男性販売員の会話。
Discount please!
This is Tiffany.
言ってみたいなあ。
|
|
 |
|